4月に入ってからの思わぬ寒さの中、京都・長岡京の名産、乙訓の筍を訪ねました。
ふた月程前、花菜 の頃に訪れて以来の乙訓、収穫を終えた
花菜が、鮮やかな黄色の花を咲かせ、一帯は花の香に満ちています。
朝堀を見ようと、早朝、大阪を出たのですが、既にこの日の朝堀出荷分は収穫を殆ど終える所でした。
この日お邪魔したのは、竹林が山手に向かって広がる麓辺り、太陽の光が程良く当たる場所に竹林をお持ちの、樋口さん。「もう若くないので、手入れも行きとどかない。」と仰っていましたが、掘り出された筍は、なかなか立派なもの。大小はあるものの、所謂、白子(しろこ)と呼ばれる上級なものも多く見られます。
この辺りで穫れるのは孟宗竹の筍で、その昔乙訓郡海印寺村の寂照院主が唐から持ち帰り寺院に移植したものが広まったと言われています。4月の声を聞くと、地面にひび割れを起こし、筍が出てくるのですが、地上に頭が出る前に掘り起こすのが良く、堀鍬(ほり)と呼ぶ、L字型の筍専用の道具を使い、丁寧に周りから掘り起こして行きます。
慣れないと 筍 自体にキズをつけてしまいますので、根の方向を見極め慎重に堀鍬を入れて行くのです。テコの応用でお尻を持ち上げられて、ヌーッと出てくる様は、なかなか面白く、次々に土の上にころがって行きます。掘り出された筍は、乾燥を嫌いますので、すぐ篭に入れて覆いをかぶせます。
筍5 五十年以上も筍栽培に携わる樋口さんのお話では、ここ十数年で、竹林を含めた周りの田畑の様子は一変したそうで、穫れる筍の数も三分の一ほどに減り、そのくせ値段は変わらないか、かえって下がっている。とのこと。近辺の筍農家も少なくなっているようで、将来的にはどうなることかと、消極的に笑っていました。
栽培農家は、一年中、竹林の手入れを怠りません。春、収穫の時に、将来親竹となる竹の子を選び、初夏、成長し始めた若竹の先端を折る作業から始まり、八月、九月の恵みの雨を得た後、竹林に稲藁を敷きつめ土を被せ堆肥とし、何カ所も穴を掘り肥料を入れて行きます。親竹は2〜3メートル(およそ一坪)に一本とし、十分に太陽の光がとどくようにします。そのようにして育てられた親竹も、次の年(2年目)にはまだ子を出せません。3年目にしてようやく出てくるのです。その後、一年置きに子を出します。つまり、竹の子として生まれてから、3、5、7、9年と言うサイクルで筍として市場に出てくるわけです。良い筍が穫れるのは、親竹がせいぜい七年まで。普通、6〜7年で切ってしまいます。
面白いのは、それぞれの親竹がいつ生まれたものかを知るために、竹そのものに生まれた年の干支を墨書きしている栽培農家もあることです。このようにして採取される色の白い、柔らかい筍は、カリウムも多く、体内のナトリウムを排泄し高血圧の予防に役立ちます。また筍の切り口に出る白い粉は、チロシンというアミノ酸で新陳代謝を活発にして脳を活性化する働きがあるといわれています。
山城・乙訓の筍は、京の伝統野菜の一つですが、年々栽培農家の高齢化や後継者難、年間通しての手間と経費、出荷時の価格の問題などなど、今日多くの農家が抱える苦労からも逃れられないようです。
(2007年4月 掲載)
※取材内容は掲載時によるものです。
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