なにわの伝統野菜の一つ
三島うど、白うどです。
手にいれにくい野菜ですが、その栽培方法も独特です。
江戸時代・天保の頃から栽培されていたという、現在は大阪府茨木市太田(おおだ)地区、ここで唯一
三島うどの栽培を百年近くも続けられている農家の当主 中村 光夫さんを訪ねました。ご一緒に作業をされているお母様は御歳九十歳、まだまだお元気です。光夫さんは、お父様の後を継いで十五年程になるそうで、以前は農業以外のお仕事をされていたそうです。米や野菜などを作りながら一年を通して
三島うどの栽培をされています。
栽培の一年を簡単に聞かせていただくと、春 三月の収穫が終わるとうど小屋内の根株を掘り出しひとつひとつ路地畑に植え替えます。この小屋は稲藁で葺かれており毎年分解・組立されます。屋根部分は苫と呼ばれ分解時使用可能なものは次回用に保存します。小屋の立っていた田んぼは、春に田起こしし水を張って稲田に変わります。うど株を植える畑は連作障害を避ける為、毎回場所を替えるそうです。うど小屋そのものもまた建てる位置を少し移動させているとか。夏の間、うどは畑で育ちます。その間も中村さんには別の作業があります、田畑の畦などの草を刈りとって乾燥させ冬場の小屋内の保温用に備蓄するのです。
そして秋、稲刈りですが中村さんの所ではコンバインが使えません。稲藁はうど小屋の苫や保温材などに使われる為、藁束の完全な姿でなければなりません。藁束の確保のため稲刈りも一苦労です。うど小屋には大量の藁束が必要ですが、その全てを中村さんの田んぼで賄うのです。十一月になりますと新しいうど小屋を作り、畑のうど株をまたひとつひとつ小屋に伏せこみ、上に夏に刈り取った干草をたっぷりと乗せ、水を掛け、筵で覆い、藁束をのせ発酵による温度の上昇を促します。同時に光を避け軟白させるのです。この促成軟白栽培技術の伝承が伝統野菜の所以です。小屋作りなどの作業は中村さんのご兄弟総出の大仕事になります。
小屋内に伏せこんだ株は、温度の管理次第で成長が左右されます。上がり過ぎると腐ったり、急激な成長の為に細長くなったりしますし、低すぎると成長は進みません。太さ根元あたりで4センチ程、長さ60センチ程が理想だそうです。ひょろりと長いものや寸足らずのものもありますが、味や食感は変わりません。見た目はあくまで白く、シャリシャリとした食感、うど独特の仄かな香り。灰汁が少なく極薄の皮を剝いて生で食べるととても美味しい。さっと茹でて おひたし 、きんぴら、てんぷらなど手軽に楽しめます。
残念な事に中村さんのうどは、一般には流通していません。近隣の人たちが毎年贈り物に買われたり、遠方から口コミで来られる人もいるとか。楽しみにしている人は多いようです。今後可能なかぎり続けて行きたいとおっしゃいますが、やはり手間ひま掛かる仕事の後継者はいないようです。新たに始めることは不可能。伝承の栽培技術が必要ですし、何よりも守り続けた
うどの株が無ければ無理。中村さんは伝承の為、その大切な株を他人に譲ることも考えたりするそうですが、なかなか難しいようです。
うど小屋には、
白うど株と
先紫(さきむらさき)と呼ばれる株があり、一時期この
先紫をブランド的に栽培したことがあったそうです。芽の一部にほんのり紫の模様が見えるのがそれです。
(2009.3.3)